父は子供の頃、戦争の影響で、遠い遠い親戚に預けられた。
そのとき曾祖父が父と一緒に親戚に手渡したものが、土地の権利書だった。
「孫の為に使ってくれ」
でもその権利書は父の為に使われることはなかった。
その親戚は欲望を抑えられず、土地の権利書を安い安い金額で売り飛ばし賭博につぎ込んだ。
父にとって、大人は醜い姿をしていて、赤の他人も含め親族というものは自分の金を貪る存在に過ぎないと思っている。
それはお金を見せればの話であって、お金を見せなければ誰も貪りには来ない。
おじいちゃんになった今でも「何のために権利書を渡したのか」と当時のことを振り返る。子供ながらに父は「自分が持っていたかった」と、後悔の言葉を声にしている。
結局、父は高校へも行けず、働く道を選ぶしかなかった。
誰にでも苦労話の一つや二つある。
父が子供時代に見た大人の姿は「我欲の塊」という醜い姿だった。
大人は誰も子どもの為に何かをしてあげようなんてコレッぽっちも思ってなければ、そんな姿を目の当たりにすれば、その子供もそういう大人になってしまう。それが私の父の姿だと思う。
私から見たら父も醜い姿をしている。
私だって、もしかしたらそう映ってるかもしれない。
だから本当は、こんな話をしちゃいけないと思ってる。
だけど私は、書くことで変わりたくて変わり方を探してる。
もし私だったら、、
誰だって、自分に酷いことをしたら許せない。
だけど、もう長い年月が過ぎたし、その親戚はその子供を含めみな死んだ。
そして、その周りの親戚は未だにお金がなくて苦しんでいる。
もう、それでいいじゃない。
親戚はどう足掻いても、その苦しみからは一生解放されないのだから。
もし私が父の立場だったら、もう許してる。「しょうがない」って。
声にすると当時の感情が込み上げてくる、だからいい加減それを捨てて忘れるように心がける。
そうしないと、先に進めないし、いつまでも引きずる人間になってしまう。
それこそ、磨けるときを失ってしまう。
だから父は未だに輝いていない、くすんでる。
私たち夫婦や従業員がどんなに頑張っても、父は誰の事も認めない。
財も会社も全部、自分のものと思っている。
あのバブルが弾けた時点で、リーマンショックになった時点で、父の会社は終わってる。
父の力ではどうすることも出来なかったから、私たち夫婦に投げやって来た「やってみるか」と、それで建て直せなければ、娘夫婦のせいにすればいい、父の計画はそんなところ。
ところがどっこい、娘夫婦は父以上の成果を出してしまった、年間億のお金を作ってしまったことで、今になってこう言ってくる。
「本当は社長を辞めたくなかった。でも、税理士が変われと言ってきた」今度は顧問会計士のせいにしてきた。
この誰かのせいにするのは、病気。一生治らない悲しい病気。
貯めこんだ箪笥貯金は、父と母合わせて億のお金。
父たちは貯めこんだお金で、「娘のため」と言って買った土地と家を父名義にしてしまった。
私は自分の弁護士に怒られた、「どうして聞かされた時に怒らなかった」と。「怒らなかったということは認めたことになるんだ!」と怒鳴られてしまった。
それに控え、従業員にしろ、私たち夫婦にしろ、最低限の賃金だけ。
両親は裏でほくそ笑んでいたに違いない。
会社のお金の使い方は今も昔も変わらない、父が好きなように使ってしまっている。
旅行行くのも会社のお金。
何かを買うのも、会社のお金。
それが許されるのは企業としてなってないから、と弁護士に言われた。
「もう、会社持って出るしかない」と弁護士に仄めかされた。
今の会社があるのは、娘夫婦たちの努力ということ、父は認めてない。
やって当たり前、稼いで当たり前、金を作らないならここにいる資格はない。
「パパたちは稼がなくてもいいだけのお金を持っている。でもお前は、この会社を潰したら働かなきゃいけない。わかるか?」
「この会社を作ったのはパパ、パパが作らなかったら、お前たちは今ここにいない」
「この会社は誰にも渡したくない。だからパパが死ぬときこの手でこの会社を潰したいと思ってる。」
父にこれらをハッキリ言われた時、もう声が出なかった。
何のために、頑張っていたのか。
これが父の姿なんて、、、醜すぎる。
なんてなんて、ちっぽけな親なんだろう。
上手く人を使っていれば、死ぬまで安泰なのに。
死ぬまで、それなりの困らない暮らしが出来るのに。
見せてはいけない爪を見せてしまった。
その時が来たら、私から捨ててあげる。
でも今は、まだ見捨てない。