どれくらい周りを見ることができなかったのだろうか。
周りを見てふと気づく。
「あれ?世の中ってこんなに広かったっけ?」
「何だろう、田園が心地いい」
「見知らぬ土地の空気が心地いい」
ガタガタ揺れる電車の中で「色んな人がいるな」とトゲトゲしてる胸が丸くなるのを感じていた。
普段から心がけていた。
「視野を狭めてはいけない」
「決めつけてはいけない」
だけど、身近な存在が私たち夫婦を雁字搦めにすることで思っていた以上にこの心も頭も視界もすべて狭まっていた。
こう思ってはいるけれど、実際はどうなのだろうか。その人に責任があるのかそれとも、その人を怒らせたり不機嫌にさせると厄介だからと思い込み、自分で全てを狭めさせていたのではないだろうか。
三十年以上、もうこの身はあの人の操り人形。それももう疲れた。
いい加減、解放してほしい、そう思うことは我がままだろうか。
自分の人生をそろそろ歩みたい、そう思うことはいけないことだろうか。
誰にでもある苦労。
青々した芝だって、見えないところは沢山枯れている。
だから、その芝を羨む必要はない。
誰かを羨み焦れば怪我をする。
どう進めばいいのかまだわからないけど、もうこれ以上自分を苦しめるのだけはおしまい。
出口のない道もないし、抜けられないトンネルもない、いつまでも真っ暗闇も続かない。どんな形でどんな道がこの先に現れるのかは分からないけど、今はその道を待っていたい。
これ以上足掻いても手かせ足かせは肌に食い込むだけ。
ストレスを溜めれば心身が侵されるだけ。
今はストレスを与えずに、静かにしていたい。
これからは、笑えない日があっても、どこかでいつか笑える日は来るから、その日までこの言葉を言い続ける。
とりあえず、笑っとこ。
今日笑えなかったら、明日笑っとこ。
明日笑えなかったら、その次の日に笑っとこ。
それでも笑えなかったら、唇は閉じたままでいいから口角を左右に引こう。
笑える切欠を自分で作っていこう。
何も恐れず信念を貫いて、ただただひたすら前を真っすぐ見つめ突き進んでいたあの頃の自分を取り戻すために。
そして、奪われてしまった夫婦の時間をどんどん作っていこう。
初めて乗った電車から見えた風景は、身を乗り出しても先が見えないだだっ広い田園だった。その風景を見ていたら、いつもと違う沢山の文字が頭の中に浮かんできた。
苦しめているのは自分自身かもしれない。「もう少し我慢」という言葉は捨てて、今日からは「あの人たちの為に生きるのではなく、もう少し自分を大事にしたい」そんな気持ちに包まれていた。
これからは苦労を見つめるのでもなく乗り越えるのでもなく、笑えるものを探していこう。
それが、今の私に必要なもの。
下を向いていてもいつの間にか上を向いている、そんな時間を増やしていきたい。
たまにはいいですね、知らない土地へ行くのも。