ポカポカ陽気に漂いながら

人生楽しいのは50歳から!?本当ならそうであってほしい、そうでなくても、もう十分苦労はした。山や谷は嫌っていうほど乗り越えた。なら、そろそろ、少しずつでいいから苦労以外の時間を頂戴。

私はロボットじゃない。

時々思う、「私は私」。

自分を見失いたくない時に思う、「私は私」。

強くありたいと思う時に思う、「私は私」。

誰にも評価されたくない時に思う、「私は私」。

 

私にだって、描く人生や理想の生き方がある。

だから、押し付けないで。

 

それは、あなたが望むスタイルであって、私の望むスタイルではない。

 

例えどんなに両親を支えていくのは私しかいない現状であっても、、

私の時間を奪っても構わない、だけど私の気持ちを「関係ない」と振り払うのは止めて。

 

私は、あなたじゃないし、あなた達じゃない。

 

実際、言われた。

「お前は今まで気に入られるようにしてきただろう、今後もそうすればいいんだよ」

それを言われたとき気がづいた。なんて身勝手な人なんだろう。

 

私がそうしてきてたのは、気に入られようとしたからじゃない、あなた達に住みやすさを与えていただけ。共同生活は苦労の連続、人と足並みを揃えられないあなた達がイライラしないように私がそうしていた。それなのに、「今後もそうすればいい」と言う言い草に、とことん呆れた。

 

周りがどうなろうと関係ない、自分たちさえ幸せならそれでいい、そう思う根性が理解できない。

 

でも、私にはできなかった、家族を捨てるなんてこと。

 

私は、私の人生を歩んでなかったけど。

どれも両親の為と思ってた行動は、両親の言いなりだったけど。

両親が喜ぶなら、そんな感情に流してまったのは私自身。

 

いい加減、自分の人生を歩みたい。

 

私の時間は奪われたとしても、私がこの心を手放してしまったらおしまい。

 

「いいわいいわ」にしてたのは、私自身。

 

私が私であるためには、対策を変えないといけない。

 

結局のところ、両親や姉妹からは「出て行け」や「あんたが出ていきなさいよ!」と言われ続けてきた、私はそんな家族たちですら見捨てることができなかった。

だって、私が両親を見捨てたら、両親は、、

 

とんでもない不自由を感じるから。

 

 

 

家族に住みやすさを与えながら、

自分の思い描く道や理想とする生き方を貫くのは大変かもしれない、

でも実際は、、

意外と容易いのかもしれない。

少しの我慢があればの話だけど。